知的生産の技術 [book]

知的生産の技術 / 梅棹 忠夫 (著)

知的生産の技術

「発見の手帳」という考え方とその書き方、それを使った知的生産法については非常に参考になりました。

読書法について。
著者は、本は隅から隅まで読むできで、斜め読みでは本当には理解できないという立場。
これには賛否両論あるかとおもいますが、2 つの視点で 2 重に読む、2 度読むといったあたりは、最近の読書本でも紹介されているやり方かと思います。

タイプライターの話など、古さを感じる部分もありますが、1969 年に出版されたにもかかわらず、現在にも通じる「知的生産」の考え方、やり方は、本質をとらえていると言ってよいでしょう。


p.216

くりかえしいうが、実行がかんじんである。実行しないで、頭で判断して、批判だけしていたのでは、なにごとも進展しない。どの技法も、やってみると、それぞれにかなりの努力が必要なことがわかるだろう。安直な秘けつはない。自分で努力しなければ、うまくゆくものではない。

というわけで、今日から少しずつでも実行。

以下、読書メモ。

p.20

知的生産の技術について、いちばんかんじんな点はなにかといえば、おそらくは、それについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。


p.24

わたしたちが「手帳」にかいたのは、「発見」である。まいにちの経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいと思った現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。それも、心おぼえのために、みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく、ちゃんとした文章でかくのである。


p.29

「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合には、その文章の「みだし」だけでも、その場でかく。あとで時間をみつけて、その内容を肉づけして、文章を完成する。みだしだけかいて、何日もおいておくと、「発見」は色あせて、しおれてしまうものである。「発見」には、いつでも多少とも感動がともなっているものだ。その感動がさめぬうちに、文章にしてしまわなければ、永久にかけなくなってしまうものである。


p.31

はじめは、どのページにもおいこみで、つぎつぎとかきしるしていったのだが、これではあとから利用するのにたいへん不便である。
一ページ一項目という原則を確立し、そしてページの上欄に、そのページの内容をひと目でしらせる表題をつけることにした。いくらみじかい記事でも、内容がかわれば、つぎのページにすすむ。一項目がながくて、二ページ以上にわたるときも、各ページごとに表題をしるし、二ページ目には「何々(つづき)」というふうにかく。


p.31

一冊をかきおえたところで、かならず索引をつくる。すでに、どのページにも標題がついているから、索引はなんでもなくできる。


p.58

カードを活用するとはどういうことか。それは、カードを操作して、知的生産の作業をおこなうということである。


p.58

カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである。そのときには、すぐにその発見をもカード化しよう。


p.100

まず、ほんというものは、はじめからおわりまでよむものである。


p.101

それはなぜかというと、それが、著者のかんがえを正確に理解するための基本的条件の一つだからである。どんな本でも、著者には全体として一つの構想というものがあって、それによって一冊の本をまとめているのである。各部分は、全体の文脈のなかでそれぞれしかるべき位置におかれることによって、意味をもっているのである。その構想、その文脈は、全部をよむことによって、はじめて理解できるたちのものである。


p.109

わたしは、よみあげた本を、もう一どはじめから、全部めくってみることにしている。そして、さきに鉛筆で印をつけたところに目をとおすのである。そこで、なぜ最初によんだときにそこに印をつけたのかを、あらためてかんがえてみる。なかには、単に内容の理解のために重要だとおもって、線をひいたところもあろうし、ひょうげんのうまさにつられて印をしたところもあろう。いろいろなケースをながめたうえで、これはほんとうにノートしておく値うちがあるとおもわれるところだけを、ノートにとるのである。


p.170

ものごとは、記憶せずに記録する。


p.216

くりかえしいうが、実行がかんじんである。実行しないで、頭で判断して、批判だけしていたのでは、なにごとも進展しない。どの技法も、やってみると、それぞれにかなりの努力が必要なことがわかるだろう。安直な秘けつはない。自分で努力しなければ、うまくゆくものではない。