「自己発見」の心理学 [book]

「自己発見」の心理学 / 国分 康孝 (著)

「自己発見」の心理学

悩みは、出来事の受けとり方で解決できるという哲学のもと、社会生活、学習、家庭、職業の場面の、さまざまな「ねばならぬ」という思い込み (ビリーフ) を解くことで悩みを解消していきます。

哲学的な内容ですが、実践で使えるようにブレークダウンした解説なので、わかりやすいです。

以下、読書メモ。

p.9

本書で私のいちばん言いたいことは、考え方次第で悩みは消える、ということである。
私の専攻するカウンセリング心理学の立場からいうと、悩みとは欲求不満 (フラストレーション) のことである。つまり人生が思うとおりにならなくて、気持ちが落ち込んだり、自信がなくなったり、世も末だと思ったりするのが悩みである。ということは悩みのない人間はいないということである。


p.12

この章で特に強調したいことが三つある。
ひとつは哲学というものは、ふつうの人間にも本当はなじめるはずのものである。哲学の教授にしかわからないものではない、ということである。第二に言いたいことは哲学が人の幸不幸をきめるということである。思考 (哲学) が感情を左右し、感情が行動を促進するからである。そして第三に論理療法の人生哲学を粗描し、二章以下を読むための準備体操にしたいことである。以上三つが本章の骨子である。


p.20

A (出来事、事実) そのものが C (結果、悩み) を生むのではなく、B (ビリーフ、受け取り方) が悩みの根源であるというこの理論は、この人生で窮極的に存在するのは各自の受けとり方の世界である、との哲学に立っていることになる。こう言う哲学を現象額 (phenomenology) という。


p.80

もし、多くの学生がわれもわれもと日常現象のなかに、事実を発見し、これをつみ重ねたとする。するとやがて、たくさんの事実のなかに最大公約数を発見し、それに命名する人が出てくる。それを概念という。たとえば「自己愛人間」とか「モラトリアム人間」とか「金太郎コンプレックス」「燃えつき症候群」といった具合に。
するとやがてはこれら複数の諸概念を、相互に関連づけて、意味のある全体像にまとめあげる人が出てくる。すなわち理論構成をする人、理論化する人である。
するとこの理論を手がかりにして、「こうすればこうなるはずだ」と仮説を立て、ものはためしにやってみる人が出てくる。そしてうまくいけばそれを定型化して「技術」と称する。そうするとひとつの理論からわれもわれもと「技術」を開発し提唱する人――心理学ならば臨床家という――が出てくる。


p.177

まずいばるとは自分の役割に忠実になることである。自分個人の人格が偉大だからいばるのではなく、自分の役割を人に無視されたのでは自分の存在理由がなくなるから、自分の存在を主張しなければならぬ。それがいばるということである。


p.189

というのは自分が幸福でないと人の不幸が手放しでよろこべないからである。羨望やしっとを持ちがちである。第二に自分が不幸だと自分が幸福になることばかり考えて、人を幸福にする余裕は出にくいからである。第三に自分が不幸ということは慢性のフラストレーション (欲求不満) があるということで、慢性のフラストレーションは自・他に対する怒りを生みやすい (これを欲求不満攻撃説という)。その結果、自・他に対してきつく当たりがちである。たとえば、自己嫌悪、他者憎悪のように。