ソロスは警告する 超バブル崩壊 悪夢のシナリオ [book]

ソロスは警告する 超バブル崩壊 悪夢のシナリオ / ジョージ・ソロス (著), 松藤 民輔 (解説) (著), 徳川 家広 (翻訳)

ソロスは警告する 超バブル崩壊 悪夢のシナリオ

著者が本書で最も述べたいのは「再帰性」について。
言っていることはわかるのですが、それをどう投資に活かしていくかは難しいです。

以下、読書メモ。

p.3

「再帰」とは「人間」と「周囲の出来事」の双方が、互いに影響を与えあうことで変化し続ける、相関的なイメージととらえればよい。


p.44

私たちは世界の一部であるために、その世界を完全な形では理解しえない。

特に、人間が人間社会について理解しようとすると、観察者である人間もまた観察対象である人間社会の一部であるという事実が、理解の妨げとして最大の障碍となる。

一方で人間は、自分が生きる世界を知識として理解しようとする。私はこれを「認知機能」と呼ぶ。その一方で人間は世界に影響を与えようとし、自分にとって都合のよいように改造しようともする。かつて私はこれを「参加機能」と呼んでいたが、今では「操作機能」と呼ぶほうが適切であると考えている。

仮に、認知機能と操作機能の二つの機能が互いに関わり合うことがなければ、どちらの機能もその目的を完全に達成しうるであろう。〜略〜だが、この仮定には問題がある。


pp.48-49

たとえば、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで私の指導教官だったライオネル・ロビンズは、経済学は需要と供給の間の関係だけを扱うものであり、需要と供給のそれぞれが、どうやって決まるのかは、経済学の対象外だと主張した。
〜略〜
私は、この合理的期待仮説は、金融市場の働きをほぼ完全に誤解していると考える。この仮説は、今や学界の外ではほとんど見向きもされないが、金融市場が自己修復的であり、均衡値に向かって収斂していくという彼らの考え方自体は、今や金融市場において重要な役割を演じるようになった、この誤った理論が、依然として複雑な金融商品や評価モデルの基礎なのだ。


p.76

人間は単に状況の観察者であるのみならず、参加者でもある以上、人間が入手しうる知識は不完全なものでしかなく、行動の指針としては不十分である。よって、何度か繰り返し述べているように、人は不完全な知識にもとづいて決断を下さざるをえない。これが「間違いうる可能性」すなわち「可謬性」である。「可謬性」なくして「再帰性」はない。人間が完全な知識にもとづいて決断しうるのであれば、再帰的な状況の特徴である不確実性は除去されるからだ。


pp.94-95

ブッシュ政権はテロとの戦争を口実にイラクに侵攻した。これは情報操作としては史上屈指の成功例だが、同時にその結果はアメリカにとってはもちろん、ブッシュ政権にとっても破滅的としか言いようのないものだった。今やアメリカ市民は目を覚ましつつある。まるで悪夢が過ぎ去ったかのようだ。

現実は厳しく、真実を操作すれば、いずれ自らが傷つく。私たちの行動がもたらす結果が、私たちの期待からずれることは、しばしばある。同様に、たとえどれほど権力があろうと、自分の意志を一方的に全世界に押しつけることは出来ない。まず、世界がどのような仕組みで動いているかを、学ばなくてはならないのだ。完全な知識は、人の手が届くものではない。だが、可能なかぎりそれに接近しようとする努力は放棄してはならない。やはり、現実を理解することは、現実を操作することに対して優先されるべきなのである。